Lausanner from Tokyo

スイス、ローザンヌでの家族生活、子育て、夫のEPFL留学、障がいのある人のことなど、リアルな情報を発信します

「普通」という、表現のこと

先日の記事で、「普通」という言葉を使ったので、この表現について、私が思うことをお伝えしたいと思います

とても、とっても便利な言葉です、「普通」というひと言で、人に伝わるので、私自身もよく使います、というか、便宜上使ってしまいます

でも、そもそも「普通」って何でしょうか。。。

普通とそうじゃないの境界って、どこなのでしょう。。。

「普通」というのは、マジョリティ(majority)の人たちやモノたちで作り上げられた漠然とした概念、日々の経験の中でなんとなく身につけた感覚で、改めて根拠は?と聞かれても、回答に困る気がします

「みんながそうだから」「みんなそうしてるから」、、、そんな風に答えてしまうかもしれません

「普通は〇〇します」「△△するのが普通です」、ものごとにたいして使うのは、まだ良いとして、「普通」という言葉をヒトに使うのはどうでしょうか。。。

何が「普通」なのか、立場によってもちがうし、その中身や範囲もさまざまです

結局、絶対数が多いmajorityの人たちが「普通」、絶対数が少ないマイノリティ(minority)の人たちが「普通じゃない」とされていると思います

minority側からすれば、「普通じゃない」のはmajority側のはずです

でも残念ながら、「普通の子じゃない」というひと言で、息子のことを妙に納得されてしまうことがよくあるのです

majority側から見れば、majority人間はしないような行動や、特性が息子にはあります

それを「おかしい」とか「気持ち悪い」とか「キチガイ」と思うのは、自分がもつ「普通」という概念から、外れているからだけだと思うのです

他人に迷惑かけたり、他人に過度な不快感を与えなければ、その他人にとっては、たとえ「普通」じゃない行動であっても、好きなようにしたっていいじゃない!と思います

なので、私は息子が他人に迷惑をかけていなければ、彼の行動を近くで見守ります

夫も、そして娘も、同じように、彼が好きなように行動するのを見て、彼が納得するまで待ちます

彼には儀式的な習慣がいくつかあるので、それが終わるまで待つのです(下の写真は、川を見る息子、水があると立ち止まり、しばらくそこを動きません)

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日本では、親子ともに周囲から白い目で見られることがよくありましたが、スイスではそれほど視線がイタくありません

むしろ、笑顔で微笑ましく見てくれる人もいますし、軽蔑などなく、黙ってじーっと観察してくれる人もいます笑

その人がどう感じているのか、実際のところは分かりませんが、そんなにネガティブじゃないかもしれない、という不思議な感覚を覚えます

日本で、こう感じることはありませんでした

見て見ぬフリ、軽蔑、排除、立ち去り、、、ほぼネガティブな反応ばかり、息子と共に、家族みんなで、肩身の狭い経験をたくさんしました

この国が障がい者をどのように受け入れているのか、ますます気になるところです